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谷村新司氏死去 ー日本の音楽シーンは、あの名曲のシンガーソングライターを失った

 

あの歌声をもう一度聞きたかった(時事通信フォト)





日本の音楽シーンにおける伝説的なシンガーソングライターである谷村新司氏が2021年10月8日、永眠しました。享年74歳の著名な音楽家でしたが、今回早くも訃報が飛び込んできました。 谷村新司氏は、数多くの感動的な楽曲を残し、多くの人々に愛されてきました。彼の音楽は、心に染み入る歌詞と美しいメロディーが特徴的で、時代を超えて多くの人々に支持され続けています。彼が亡くなったことは、日本の音楽シーンにとって大きな痛手となりました。

谷村新司死去 ー日本の音楽シーンは、あの名曲のシンガーソングライターを失った

出典:https://www.oricon.co.jp

 

谷村新司

出生地: 大阪府 河内長野市
生年月日: 1948年12月11日
愛称:チンペイ
子女: 谷村詩織、 谷村大輔
配偶者: 谷村孝
職業:シンガーソングライター、タレント、、作詞家、作曲家、大学教授
血液型はAB型

代表曲

いい日旅立ち』(1978)

『昴 -すばる-』(1980)

サライ』(1992)

『冬の稲妻』(1977)

『チャンピオン』(1978)
 

谷村新司の半生

 

  • 幼少期
第二次世界大戦中、両親が大阪府南河内郡長野町(現・河内長野市)の旅館に疎開していたため、1948年に同町で生まれました。しかし、3歳のときに大阪市内に転居し、少年時代は肥満体型で「ブタ」と呼ばれるなど辛い経験をしました。
  • 学生時代

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は音楽には特に興味がなかったが、ギターを弾く姿に憧れたことからギターの練習を始め、バンド活動も開始しました。高校在学中にはフォーク・グループ「ロック・キャンディーズ」を結成し、地域で人気を博しました。その後、大阪万博の会場で音楽プロデューサーの細川健と出会い、アメリカでのツアーを経験。この経験が、後のグループ「アリス」の構想を生むことになります。谷村はアメリカでレッド・ツェッペリンジャニス・ジョプリンのライブを観る機会を得て、音楽の新たな世界に触れました。
  • アリス結成
帰国後、谷村はアリスを結成する際に、ボーカルとして堀内孝雄を誘い、グループは活動を開始。この出会いが、日本の音楽シーンに大きな影響を与え、アリスは多くの人々に愛される存在となりました。
1971年12月25日、谷村新司堀内孝雄の2人で「アリス」を結成し、練習を始める。矢沢透が合流して現在のアリスとなる。しかし、デビュー当初はヒット曲がなく、苦しい時期を過ごす。所属事務所はジェームス・ブラウンを日本に招聘して公演を行うが失敗。さらに、グアムへのクルーズツアーや帰国途中のコレラ騒動などで借金が膨れ上がります。

アリスは頑張り続け、1975年の「今はもうだれも」のヒットを機に、「冬の稲妻」、「涙の誓い」、「ジョニーの子守唄」、「チャンピオン」、「狂った果実」などのヒット曲を連発。1978年には日本武道館での3日間公演を成功させ、一世を風靡しました。一方で、谷村はソロ活動も始め、アルバムやシングルの制作、他の歌手への楽曲提供を行い、自身の音楽の幅を広げました。

  • アリス解散と中国公演 

1981年には、日中共同コンサート「ハンド・イン・ハンド北京」を開催。これが中国のポップスシーンに大きな影響を与え、アジアでの活動を本格的に始める契機となりました。同年11月、アリスは活動を停止しました。

  • ソロ活動

1982年、谷村新司はシングル「スーパースター-MY SUPERSTAR-」とアルバム『JADE-翡翠-』で本格的にソロ活動をスタート。1983年には『EMBLEM』、1984年には『抱擁』と『刺-とげ-』など、年に1-2枚のハイペースでアルバムを発表し、明確なコンセプトをもった意欲作を続けました。また、シングル曲「22歳」や、翌年のデュエット曲「忘れていいの-愛の幕切れ-」(小川知子との共演)などもヒットさせました。

谷村は毎年のコンサート・ツアーだけでなく、さだまさし北島三郎郷ひろみらとのジョイント・コンサートや、チョー・ヨンピル、アラン・タムと共にアジアのミュージシャンを集めたイベント「PAX MUSICA」を開催。また、1986年には東京・青山劇場で1ヶ月のロングラン・リサイタル『CORAZON』を開催し、年末の恒例行事となりました。同年からはニューミュージック系アーティストでは初のディナーショーもスタートし、親友のジャッキー・チェンと共にアジアのミュージシャンを集めたイベント「PAX MUSICA」を始め、アジア各地で開催しました。

  • アリス再結成

1987年にはアリスとしての活動を再開し、シングル「BURAI」とアルバム『ALICE X』をリリース。1988年にはロンドン交響楽団と共演した大作アルバム『獅子と薔薇』を発表。その後、欧米のミュージシャンやプロデューサーとの仕事が多くなり、1995年にはプロデューサーにフィル・ラモーンとジャック・エリオットを起用したアルバム『I・T・A・N』を発表しました。また、父親が亡くなった際に追悼曲として「陽はまた昇る」を歌唱し、『第40回NHK紅白歌合戦』で披露しました。

1992年には加山雄三との連名でシングル「サライ」を発表し、日本テレビ24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングとして使用され、番組を代表する曲として親しまれています。1996年には商業用DVDソフトであるライブDVD『シンジ ラ ムニタ』を発表し、世界的な注目を集めました。その後、バラエティ番組の司会やコンサート活動、アジアでのイベントなど幅広く活動しました。

  • その後の音楽活動

2000年、谷村新司はインディーズ・レーベル「mama's & papa's」を立ち上げ、Maxiシングル「ハーヴェスト」をリリースしました。同年末には『第51回NHK紅白歌合戦』でアリスとしての活動を再開。2001年には14年ぶりのアルバム『ALICE 0001』をリリースし、全国ツアーを開催しました。

2002年にはアルバム『半空 NAKAZORA』を発表し、元MR. BIGのギタリストポール・ギルバートと共演。2004年には中国の上海音楽学院で教授を務めつつ、中国の歌手毛寧のアルバム『我』をプロデュースしました。また、2005年には日本国際博覧会愛・地球博」のNHKテーマソング「ココロツタエ」を作詞・作曲し、夏川りみが歌いました。同年には『第56回NHK紅白歌合戦』にアリスとして2度目の出場を果たしました。

2006年にはavex ioに移籍し、6年ぶりのMaxiシングル「風の暦」をリリース。2007年には5年ぶりのオリジナル・アルバム『オリオン13』を発売し、NHKの番組『にっぽん 心の仏像』に出演しました。2007年7月には平城遷都1300年記念祭のテーマソング「ムジカ」を制作し、2007年9月には「夢人〜ユメジン〜」(avex ioから2枚目)のMaxiシングルをリリース。2008年には選抜高等学校野球大会の大会歌「今ありて」(avex ioから3枚目)のMaxiシングルを発表しました。その後もシングルやアルバムのリリース、コンサート活動、支援団体への印税寄付など、精力的に活動を続けました。

  • 闘病生活

2023年3月に急性腸炎のため入院し、療養を続けていた。

アリスの全国ツアーを休止。同年10月8日に死去し、享年74歳でした。戒名は「天昴院音薫法樂日新居士」。

谷村新司の人物像

 
  • 愛称「チンペイ」: 野末陳平南ベトナムの元副大統領グエン・カオ・キに似ていることから付けられたと言われています。
  • 特徴的な口髭 : 初期のアリス時代から特徴的な口髭を蓄えており、トレードマークとして知られています。
  • 「昴」 : 脳内で突然楽曲が閃き、そのまま創り上げた。その際「プレアデス星人」と交信していたという。
  • 下ネタのオンパレード : ラジオ番組『セイ!ヤング』の火曜日を担当し、名物コーナー『天才・秀才・バカ』で下ネタのオンパレードを披露していました。
  • 女優の鳥居恵子との噂 :  鳥居恵子との噂が広まりましたが、谷村は一方的なファンであるだけだと否定していました。後に付き合っていたことを告白しました。
  • その他 : 若手音楽家とも交流があり、デーモン閣下ザ・ベンチャーズなどとも親交があります。曹洞宗の檀家でもあり、宗教的な活動にも積極的に参加しています。
    また、彼は社会を明るくする運動の広報ポスターに登場したり、上海からの仕事の誘いを受けるなど、多岐にわたる活動を行っています。2017年には68歳で自動車の運転免許を取得したことも知られています。

まとめ

谷村新司氏は、数多くの感動的な楽曲を残し、多くの人々に愛されてきました。彼の音楽は、心に染み入る歌詞と美しいメロディーが特徴的で、時代を超えて多くの人々に支持され続けています。彼が亡くなったことは、日本の音楽シーンにとって大きな痛手となりました。

 

合掌――。